お受験ド素人パパの備忘録日記

小学校受験をめざすお受験ド素人の父親の備忘録的日記です。お受験で感じたこと、困ったこと、調べたこと、時系列もレイヤーも違いますがお受験をこれから始められる方、悩んでいらっしゃる方の参考になれば幸いです。

小学校受験 お受験ノウハウ もう一度やるならどうするか

小学校もオンラインではあるがゆるゆると始まり、これを書いている横で今日は制服を着る練習をしている。ずいぶん悪戦苦闘しているが、こんな時期もしばらくしたら懐かしく感じるんだろう。

 

さて、在宅勤務ということもありすこし時間もあるので、本日はもう一度おじゅけんするならどうするか?を考えてみたいと思う。

 

もう一度お受験するなら。まずスタートは年少時までさかのぼる。まず年少時にスタートしておきたいのは「くもん」だ。あまり受験とは直接的に関連しないのだが、下地として始めたい。数字、足し算、引き算、ひらがな、カタカナ。小学校受験はこのような記号はまだみにつけていないことを前提にしているのだが、構造は同じ。足し算であり引き算だ。そして文字が読めたほうが絵本を自身で読み進めることもできる。これにより国語力・文章の理解力がつく。そうするとお話の記憶はもちろんのこと、設問の読み上げを正確に理解することができるようになる(はずだ)

 

遊びはパズルや積み木を取り入れたい。電車などで静かにするためにYouTubeなどを見せていたのだが、これをパズルゲームアプリにかえる。ブログで何回か書いたがZENなど。図形力がみにつく。そして寝かしつけは絵本の読み聞かせ。定番の昔話などから始める。昔話を一通り抑えるという意味ではNHKの「おはなしのくに」を見せるのが手っ取り早い。(WEBでも視聴可能)

 

遊びではないが、子供にお手伝いをしてもらうことも始めたい。お手伝いとは受験的に言うと指示行動だ。ここで右左も覚えるし、数の大小や序列も感覚的につかんでいく。洗濯ものを干す、たたむ、雑巾をしぼる、傘をたたむというのは行動観察や個別で出たりもする。

 

年中になったところで幼児教室へ。幼児教室は受験テクニックをみにつけるためのところと割り切る。幼児教室で学ぶのではなく、幼児教室でテクニックを知り、家庭学習におけるトレーニングで定着させる。本ブログでも書いているが、解き方を覚えておけばよいものも多いのだ。ただ子供の脳の成長スピードにより「理解できない」ものもある。ただ間に合うかどうかは別として脳が成長すれば解けるようになる。カリカリせずに理解が追い付かないものは飛ばして反復しつづける。ここで使うのはまずはこぐまのひとりでとっくんだろう。コピーもしくはPDF化してひたすらやる。

 

加えて受験体操も開始。受験体操というとなんだかロボット製造みたいな雰囲気すらあるが、やることは指示行動。そして縄跳びなどだ。運動能力を高めるためにもやっていて損はない。心身の健康のためには強い体づくりが必要。縄跳びなどは子供にとって成功体験になる。練習すればできるようになるということ、できたときの喜びを知る。

 

このように書くと受験一色にみえるが、同時に大切なのは「家族で遊ぶこと」。特に父親はできうる限りの時間を割く。キャンプに行ったり釣りをしたり。遊びではないがボランティアに一緒に参加したり、動物を飼育したり、朝顔を植えてみたり、一緒に料理したり、掃除したり、洗濯したり、DIYしたり。子供と一緒にとにかくいろんなことを体験する。これが面接だったり、個別だったりで生きる。そして父親にとっても楽しい時間になる。

 

新年長になるころには過去問をスタート。加えてその子の性格もあるが引っ込み思案だったりする場合は行動観察の教室へ。じつは有名専門教室は新年長になるころでは遅い。ほとんどが満員で新規で入れないのだが幼稚園などで社会性がついていれば年少などから始めなくてもよいのではないかと思う。ただここは迷うところ。年少時などに体験授業などを受けてみてもよいかとは思う。年長の5月から通わせてみたが、子供の立ち振る舞いはかなり変わる。カトリック女子校を狙うのであればお行儀も身につけたいところ。姿勢や所作という細かいところを教えてもらえるとありがたい。子供にとっては新鮮でかつ褒められるのですぐに身につくものだ。

 

直前期には模試を。これは「場慣れ」のため。それ以上でも以下でもない。順位や結果は捨ててもよい。本当にそう思う。自慢ではないが我が子は志望校判定で合格圏に入ったことがない。なんなら偏差値50を全体で超えたこともない(部分的にはあるけども)。そんなもんだと思ってよいと思う。

 

スタートが早ければ、親の気の持ちようが変わると思う。我が家は少し遅かったために焦りが出た。子供の成長ものんびり屋さんだったことも拍車をかけた。準備期間は長いに越したことはないし、今できなくても明日できるかもと思えるしそれでよしと思える。(時間がないとそうはいかない。。)

 

結局は受験一色になるのだが、その生活の中でいかに余裕を持てるかというのが勝負だとも思う。きれいごとになるがいかに楽しめるか。たかが小学校受験、なるようになるし、なるようにならなかったとしても子供の人生にとって大きな問題ではない。大きな問題にしてしまうのは親なのだ。受験というとつらく苦しくて「当たり前」と思ってしまうが、小学校受験に限って言うと親子で学ぶことを楽しむことが肝要。受験をしていなかったら親子で虫眼鏡をもって野山で虫を観察することもなかっただろうし、星空をみながら星座の話をすることもなかったように思う。

 

もう一回やりたいかといわれると、しばらくいいやというのもまた本音でもあるが。。。